質問26 中国の古書にいわれていることはみな正しい?
四柱推命学の本場は中国ですから、現在の日本で見ることのできる四柱推命の書籍のおおもとは、すべて中国のものです。
1000年以上前に、『五行大義』とか『淮南子(Enanji)』のような、陰陽五行論に関する書物は日本に入ってきていますが、四柱推命の原書が日本に輸入され、翻訳されたのは、江戸時代の終わり頃だといわれています。
日本に推命が伝わるきっかけとなった書は『淵海子平』(Enkaishihei)』だといわれています。しかしながら、これは編纂本、つまり、当時手に入れることのできた推命関連書をよせ集めた程度のものでしかなかったのです。
ところが、日本ではこうした事情を無視して、この書を四柱推命の「原典」のように思っている人が多くいるのです。
中国の原書を紐解きますと、四柱推命の書物で、名著といわれているのは、
『滴天髓(Tekitenzui)』
を筆頭に、
『子平眞詮(Shiheisinsen)』
『造化元鑰(Zoukagennyaku)』
といった書があげられます。このあたりの書に目を通されているなら、その方はかなり深く四柱推命を研究していると言っていいでしょう。
しかしながら問題は、これらの書から、一歩たりともはずれることがないように、つまり、これらの書にいわれている範ちゅうで四柱推命に関わろうとしている人が多いことです。古典重視を通り越して、古典崇拝になってしまっているのです。
逆に、これらの書とはまったく異なることを言っている人もおりますが、そういう方は少数派ですし、多くは、四柱推命の本筋を外すことなっているようです。
私は、両者の状況を見ていますが、前者のように、古書にとらわれすぎて四柱推命の進歩を否定する立場は取りたくない、かといって、論理的な整合性を無視し、奇をてらった異論を唱えたくないと思っています。
結局は、四柱推命は、生年月日時という情報から、人の運命を云々するものですから、俗な言い方をすれば、「当たらなければ意味がない」。また、古来よりいわれていることであっても、実証的な裏付けがないものは無意味であると思っています。
私が拙著『四柱推命学入門』で述べていることは、古典にあることを否定している部分、また古典にいわれていない新たな部分等があり、異端と感じられるかも知れませんが、古典は十分に踏まえた上で、実証的な合理性を求めてのこととご理解ください。
話は変わりますが、この前(2001年9月)、2chネットで、私の本のことが話題になっていました。四柱推命の理論的なことが割と真剣に議論されていると思いはしましたが、理論・理屈を振り回すだけで終わり、実践的な話はなく、私も20年前くらいは、こんな感じだったなあ、と懐かしく思いました。 |