質問22 運命の存在を肯定するか否定するか?
占いのことを運命学とも言いますが、日本では四柱推命学は占いのひとつとされていますから、四柱推命学も運命学ということになります。四柱推命学が運命学であるなら、四柱推命学を研究するには、その前提条件として運命の存在を肯定することが必要不可欠のように思われます。
私は個人的には運命という言葉が嫌いで、あまり使いたくないと思っています。運命という言葉だけではなく、金運とか財運とか、あるいは結婚運という言葉も好きではありません。
なぜなら、これらの言葉の、ごく標準的な意味合いには、超自然的な力の存在を認め、人はその力にすべてをコントロールされているようなイメージがあるからです。こうしたイメージは、私の理解する陰陽五行論とは相容れないものだからでもあります。
確かに、いくら努力しても絶対に変えられないことは多くあります。そして、変えられないことは年齢とともに増加していくようです。しかし、冷静に自分自身、そして周りを見渡すと変えることができそうなことがあります。こと将来に関しては、いくつかの選択肢が与えられたりすることがあったりします。
ごく身近なことを言えば、どのような食事をするかといったことです。たとえば、今日昼食に何を食べるかは自由意思で人に強制されることはありません。しかし、その選択の長い年月にわたる積み重ねが原因で、将来生活習慣病を招き、結果的に仕事に支障が出て、経済的損失の原因となることもあります。また、食事は性格にも影響しますので、対人関係の問題に関係することもあります。
つまり、自身の将来を考える場合、自己責任の部分も存在するのです。しかし、運命という言葉を使うと、良くない原因を自分以外のところに求めさせようとする作用があるのです。
ですから、このままの生活を続けていったなら、将来どのようなことになるかを四柱推命学によって知ることは、良くないことを自分の責任のもとで軌道修正するための、ひとつのヒントとなるのです。
とは言いながら、良くないことを避けようとする時、ほとんどの場合、自分自身の欲求とか欲望が最大の敵となりますので、将来を良い方向に変えるには、かなりのエネルギーが必要になります。
時の過ぎゆくまま、流されることほど楽なことはありませんから… |