以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、あえて、こうした形で情報を発信することにしました。
ネットの時代に入り『淵海子平』の意外な評価を知る
『淵海子平』(Enkai-Shihei)という本の存在は、四柱推命を学び始めた、ごく初期の段階から知っていましたが、インターネットの時代になった1990年代後半、ネットを通して、この本の評価が高いことを知りました。
四柱推命の名著と言えば『滴天髓』であることは、異論のないところです。陳素庵、任鐵樵、徐樂吾が『滴天髓』の評註を残していて、もっとも多く評註が存在しています。『淵海子平』を名著としている人の存在は、かなり意外に感じました。
ここでは、『淵海子平』はどのような本であるのかを見てみることにします。
『淵海子平』の由来
『淵海子平』は、宋代の本です。藤堂明保編『学研 漢和大字典』(1998年4月・第35刷)によりますと、宋の建国は960年、滅亡は1279年。途中1138年に北宋から南宋に替わりましたが、建国から滅亡までを一括りに宋と言っているようです。ですから、『滴天髓』は元代初期に著わされた本といわれていますので、『淵海子平』のほうが100年程度、古い時代の本ということになります。
著者は、「宋錢塘 東齋徐升」といわれています。通常、著者名は、簡潔に「徐升」、あるいは「徐大升」と言います。人名辞典を見ましても、徐升の名は見当たりませんので、どのような人物であったのかはまったく不明です。この時代、読み書きができたのはほんの一握りの人でしたから、おそらく、科挙の試験に合格して官吏になった後、出世して趣味で推命の本を執筆することができたような人物であろうと推定されます。
『淵海子平』の内容と構成
次に『淵海子平』の内容や構成を見てゆきます。写真の本は、「明清江 竹亭 楊淙 増校」とある『淵海子平』の評註本です。ページの上の欄外にある文章が楊淙による評註でしょう。本文は、古来よりの歌訣や詩断が列記されていて、一人の著者が全体を執筆したものではないようです。つまり、徐升の著ではなく、編であると言えます。
では、徐升の評註はどこにあるかと言いますと、本文の歌訣や詩断の文字より二回りほど小さい活字の部分であろうと思われます。
『淵海子平』に引用されている歌訣や詩断は、『星平會海全書』や徐樂吾氏の著書などとも共通していますので、古来より伝承されてきた既存のものです。つまり、『淵海子平』は、『滴天髓』のようにオリジナルの文章により、四柱推命の真義を説いている本ではないのです。
ですから、『滴天髓』より100年ほど前の時代に出された本とはいえども、『淵海子平』に名著の称号を与えるのは、いかがなものかと考えます。
詳しくは、『サクサクわかる 四柱推命の本』を参照してください。
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<大正7>~2037年<平成49>
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