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質問21:子平(四柱推命)に関わっているからには神秘主義者か???

質問22:運命の存在を肯定するか否定するか???

質問23:陰陽師安倍晴明は呪術師???

質問24:納音って何???

質問25:魁ごうがあるのは珍しい???

質問26:中国の古書にいわれていることはみな正しい???

質問27:生まれた時間が1秒でも違ったら、別の人生か???

質問28:子平(Shihei)の呼称の由来は???


質問21:四柱推命に関わっているからには神秘主義者か???
 


 結論を先に言えば、まったく違います。私の場合は正反対と言ってもいいくらいです。
 世間一般的には、四柱推命のような占いに分類されることに関わっている人間は、神秘主義者とされるのは致し方ないことと思いますし、実際、その通りであることがほとんどであると言えます。しかし、私は数少ない異端者です。

 なぜ私がこうしたことになるかというと、四柱推命の根底には、質問20でも述べたように、唯物弁証法的な思想が流れているからです。

 古代中国人は、その自然観察の積み重ねの中から、自然の摂理を読みとろうと努力しました。そうした努力を積み重ねる内に、原始的と言えるかも知れませんが、唯物弁証法的な世界観に到達したのです。

 唯物弁証法については、陰陽という概念がわかりやすい例となるかも知れません。古代中国人は、世の中は陰と陽という拮抗する性状があって、本質的に矛盾していると考えたのです。陰だけの世の中も、陽だけの世の中もない。つねに、陰と陽が存在し、相互に影響を及ぼしつつ発展していると考えたのです。

 不思議なことに、こうした自然観は、その後2000年ほど忘れ去られていたのですが、20世紀ごろに再び発展した形で現われたのです。そのひとつの成果が、量子力学であると思っています。

 このような唯物弁証法的な世界観の下では、いわゆる神秘主義者には、なりたくてもなりようがないのです。


 
 
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質問22:運命の存在を肯定するか否定するか???
 

 占いのことを運命学と言うことがありますが、日本では子平は占いのひとつとされていますから、子平も運命学ということになります。子平が運命学であるなら、子平を研究するには、その前提条件として運命の存在を肯定することが必要不可欠のように思われます。

 私は個人的には運命という言葉が嫌いで、あまり使いたくないと思っています。運命という言葉だけではなく、金運とか財運とか、あるいは結婚運という言葉も好きではありません。

 なぜなら、これらの言葉の、ごく標準的な意味合いには、超自然的な力の存在を認め、人はその力にすべてをコントロールされているようなイメージがあるからです。こうしたイメージは、私の理解する陰陽五行論とは相容れないものだからでもあります。

 確かに、いくら努力しても絶対に変えられないことは多くあります。そして、変えられないことは年齢とともに増加していくようです。しかし、冷静に自分自身、そして周りを見渡すと変えることができそうなことがあります。こと将来に関しては、いくつかの選択肢が与えられたりすることがあったりします。

 ごく身近なことを言えば、どのような食事をするかといったことです。たとえば、今日昼食に何を食べるかは自由意思で人に強制されることはありません。しかし、その選択の長い年月にわたる積み重ねが原因で、将来生活習慣病を招き、結果的に仕事に支障が出て、経済的損失の原因となることもあります。また、食事は性格にも影響しますので、対人関係の問題に関係することもあります。

 つまり、自身の将来を考える場合、自己責任の部分も存在するのです。しかし、運命という言葉を使うと、良くない原因を自分以外のところに求めさせようとする作用があるのです。

 ですから、このままの生活を続けていったなら、将来どのようなことになるかを子平によって知ることは、良くないことを自分の責任のもとで軌道修正するための、ひとつのヒントとなるのです。

 とは言いながら、良くないことを避けようとする時、ほとんどの場合、自分自身の欲求とか欲望が最大の敵となりますので、将来を良い方向に変えるには、かなりのエネルギーが必要になります。
 時の過ぎゆくまま、流されることほど楽なことはありませんから…
   
 
 
 
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質問23:陰陽師安倍晴明は呪術師???
 

 2001年に陰陽師が映画になり、テレビにも自称現代の陰陽師なる人が登場し、ちょっとしたブームです。 しかし、 陰陽師は、呪術師か超能力者扱いです。

 陰陽師とは陰陽五行論の専門家ということですから、私も陰陽師ということになりますが、私は超能力はありません。陰陽五行論は日本にわたってのち、民俗文化と結びついて、呪術的な要素を取り込み、いろいろな迷信をうみだす温床になっているのは確かです。

 しかし、陰陽師は天文計算をして暦(Koyomi)を作成したり、日食を予言したりすることが本業ですから、今の日本で言えば、国立天文台とか海上保安庁水路部に籍を置いている、天文学者が一番近い職業のはずです。
 それをどこをどう間違ったのか、呪術が本業のようになってしまっています。あきれて開いた口がふさがりません。

  これは、諸葛孔明(太公望)が超能力者扱いされるのと同じ現象と言えますが、私としてはこれで日本人の陰陽師に対する見方が定着したらかなわないと思っています。

 陰陽師は決して呪術師ではありません。

 
 
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質問24:納音(Natchin)って何???
 

 納音なんていうものは、あまりにも馬鹿げているので、触れなくてもいいと思っていましたが、最近、陰陽師がらみの安倍晴明占いで復活したようなので、ここで取り上げることにしました。

  この納音は数理をもとにして、陰陽五行論とは相容れないものを、六十干支に配布する方法です。その詳しい構成を説明することは、無駄なことですから省きます。
 ですから、この段階でおわかりのように、陰陽五行論から逸脱したものですので、触れる必要もないと考えているのです。

 しかしながら、隋の時代に著された 『五行大義』にはすでに取り上げられていますので、その歴史はかなりありますが、中国の原書を見ますと、
「納音は聖人がその意味を解釈して定めたものだから、むやみに拡大解釈してはならない」
と注意書きがしてあるものもあります。また、古書中にその意味とか作用の説明を見ることもできますが、具体性はなく、かなり抽象的です。

  しかし、日本で最近見られるものは、納音によって、人の運命とか性格を論じています。本場中国でも言われていなかったことが見られるのです。納音が運命学のひとつの視点として採用し始められたのは、考証的には明治時代以降のことと考えられます。

 つまり、安倍晴明は納音を知っていたということは、文献考証的に正しいことと思われます。しかし、安倍晴明占いの中心をなす納音は、100年程度の歴史しかないものです。にもかかわらず、あたかも1000年も前の人物である安倍晴明の作であると、偽っているのです。

 私は、20年以上四柱推命に関わっていますが、安倍晴明占いなどというものを目にしたのは、ほんのここ1、2年のことです。あくまで推測ですが、映画「陰陽師」の公開に合わせて、どこかの出版社の企画会議の中で出来上がったものではないかと思います。

 
 
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質問25:魁ごう(Kaigou)があるのは珍しい???
 

  魁ごうとは、壬辰、庚戌、庚辰、庚戌の4つの干支を言います。これらの干支が四柱中にあるということだけで、古来よりいろいろなことがいわれています。

 この段階ですでにおわかりのように、魁ごうは、ひとつの干支だけを見て事象を言っているのですから、四柱推命の方法論から全く外れたものなのです。ですから、数百年前から、真摯な研究者はその作用を否定しています。しかしながら、日本ではいまだに多くの専門家と称する人が、魁ごうを振り回しているのが現状です。

 古書によっては、
「魁ごうが何よりも優先するもので、そのありようにより、大権を掌握するとか、出世するとか、貧乏になる」
とか、いろいろなことを断定的に言っています。

 しかし、例えば昭和45年は庚戌年ですから、この年に生まれた人はすべて魁ごうがあります。同年4月は庚辰月ですから、この月に生まれた人は、必ず魁ごうが2つあります。だからといって、すべてに共通する事象はあるわけないですから、全くナンセンスなのです。

 たとえ魁ごうの日に生まれたとしても、四柱のほかの要素を無視して事象を断定するのは、四柱推命とは言えないのです。

 ですから、魁ごうを一言でも口にするような四柱推命の専門家は、関わらない方が賢明であるということになるのです。  

 
 
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質問26:中国の古書にいわれていることはみな正しい???
 

 現在の日本で見ることのできる四柱推命は、もちろん中国の書物をもとにしたものです。
 日本に四柱推命の原書が輸入され、それが翻訳されたのは、江戸時代の終わり頃だといわれています。もちろんそれより1000年以上前に、『五行大義』とか『淮南子(Enanji)』のような、陰陽五行論の書物は日本に入ってきています。
 日本で最初に翻訳されたのは『淵海子平(Enkaishihei)』という書なのですが、これは編纂本、つまり、当時手に入れることのできた推命関連書を集めたものであったのです。

 ところが、日本では、この本をいまだに四柱推命の「原典」のように思っている人が多くいるのです。

 中国の四柱推命の書物で、名著といわれているのは、
  『滴天髓(Tekitenzui)』
を筆頭に、
  『子平眞詮(Shiheisinsen)』
 『造化元鑰(Zoukagennyaku)』
といった書があります。このあたりの書に目を通されているのは、かなり深く四柱推命を研究している方と言っていいでしょう。

 しかしながら問題は、これらの書から、一歩たりともはずれることがないように、つまり、これらの書の範ちゅうで四柱推命に関わろうとしている人が多いことです。古典重視ということです。
 逆に、これらの書とはまったく異なることを言っている人もおりますが、そういう人は少数派ですし、多くは、四柱推命の本筋を外すことなっているようです。

 私は、両者の状況を見ておりますが、前者のように、古書にとらわれすぎて四柱推命の進歩を否定する立場は取りたくない、かといって、奇をてらった異論を唱えたくもないと思っています。

 結局は、四柱推命は、生年月日時という情報から、人の運命を云々するものですから、俗な言い方をすれば、当たらなければ意味がない。また、古来よりいわれていることを、訂正・修正するにしても、そうした、実証的な裏付けがないものは無意味であると思っています。

  私が拙著『命運を推す』で述べていることは、異端かも知れませんが、以上のことを十分に踏まえた上でのこととご理解いただければと思っているのです。

 話は変わりますが、この前(2001年9月)、2chネットで、私の本のことが話題になっていました。四柱推命の理論的なことが割と真剣に議論されていると思いはしましたが、理論・理屈を振り回すだけで終わり、実践的な話はなく、私も20年前くらいは、こんな感じだったなあ、と懐かしく思いました。

 
 
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質問27:生まれた時間が1秒でも違ったら、別の人生か???
 

 こうした疑問は、四柱推命のような、やや理屈っぽい占いを学ぼうと思うような人が、その学び始めの、ごく初期の段階で抱くものです。

  四柱推命で扱われる時間の最短単位は1刻(Koku)、つまり、2時間です。さらに詳しく言いますと、蔵干というものがありますので、生まれた時間によりますが、2時間よりは細かな、出生時間による差は認識可能なように構成されています。

  ですから、出生時間が1秒違いというような極端な例の場合、その差を区別する方法は、四柱推命には用意されていないと言っていいと思います。

 しかし、 そもそも出生時間を1秒の誤差もなく記録することはないですから、意味のない話ではあるのですが、厳密に言えば、1秒の違いが原因で、刻が替わり、日が替わり、月が変わることもありますから、まったく無意味な話でもないとは言えます。

  私の経験から言いますと、こうした疑問をいだくことは当然なことと思いますが、その前に、まず、四柱推命をよく理解することが先決ではないかと思うのです。
 四柱推命を正しく身につけた後、この疑問の答を追究すればいいのではないかと思います。

 問題を解決するために必要な知識とか方法が身に付いていない段階で、必要以上に疑問を持つことは、前進を阻むだけで、あまりいい影響がないことが多いと思うのです。  

 
 
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質問28:子平(Shihei)の呼称の由来は???
 

  子平という呼称は、文献考証的にもっとも古い四柱推命の本が残っている、徐子平(Jyo Shihei)の名に由来していると思っている方が多いと思います。プロと自称している方にも多くいらっしゃるようです。それは、そうのように書かれている中国の文献もあるからですが、間違いです。 ちなみに、徐氏の名は居易で、字(Azana)が子平です。

 中国に『子平眞詮』 『淵海子平』 『子平粋言』 などの書物が残っていることからわかるように子平をいう呼称は一般的であったことがわかります。中国では、子平のほか、命理、命学という呼称もあります。四柱推命は、日本独自の呼び方です。

 さて、なぜ、人の運命を論じるものを、子平、と呼ぶのかですが、それについて中国の古書中に解説を見ることができます。意訳しますと、

 「天は子(ne)において開き、子は水(sui)がもっぱら位(kurai)するところである。……水は平らであるなら止まり、そうでなければ流れる。人の世においても、秤(hakari)を用い、平らなればととのう」

とあり、水(mizu)は平らなれば、つねにその表面が水平になり、調和することになります。このことは子平(四柱推命)において五行の調和を重んじることに通じるものがあるのです。
 徐居易氏は、こうした子平の持つ意味合いを当然知っていたでしょうから、字を子平としたのではないかと推察できるのです。

 
 
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2004/04/07
 

 

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