以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
五常の仁・義・礼・智・信に関しては、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』に独自の解釈を公表しています。詳しくはそちらを参照してください。
今回は、金の「義」に関して、同書で説明し切れていない面を補足しておきます。
「義」の漢文的な本来の意味は、
「人としての正しい道、道理にかなったこと」
あるいは、
「欲にとらわれず正しいことを行なうこと」
となります。
五常は人としての徳目とされている概念ですから、当然良好な意味しかありません。しかし、四柱推命では、人は五行の気をうけこの世に生を受けていると考えられていますから、五常を五行に関連づけた考え方が正しいとするなら、世の中、善人ばかりということになります。しかし実際は違います。少なからず悪人もいるのです。
さて、五行の気をうけ、この世に生を受けたにもかかわらず、なぜ善悪の相違が発生するのか。それは五常の概念に「悪」の要素がまったく含まれていないからであることは明らかです。
基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』に公表した五常の解釈は、五常の概念に「悪」の要素を付加したことと言えます。この点が独自であると言える部分です。
さて、「義」の本来の意味にある「正しい」という概念には相対的なところがありますが、これに「悪」の要素を付加するために、相対性を理知的に排除した上での「正しい」という概念と考えました。「理にかなっている」ことを「正しい」とするわけです。
また「欲」と言いましても、かなり曖昧な部分があります。社会生活上、「正しいとは思っていても言葉にできない」ことが多くあります。なぜ言葉できないかと言いますと、言葉として発することにより、経済的・社会的な損失を被ることを恐れてのことでしょう。そのため不本意ながら、正しくないとは思いつつ、損失を免れるために発言をすることが「欲」なのでしょう。これもある意味「理にかなっていない」のです。
これが「義」の「悪」の意味合いを含めた本質的な意味・作用であると考えます。
なお、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』では、金の「義」の根源的な作用について、「帰納的思考」と結論づけてあります。「帰納」と言いましても論理学の用語ですから、ご存じない方も多いとは思いますが、誤解を承知の上で、くだいた言い方をするなら、異なるように見える事象から、一般的な法則を導き出す能力となります。この能力は、要点・急所を即座に見抜くような形で発揮されることにもなります。
情緒性を切り捨て、客観的判断力を行なう能力を支えるのが、金であり、「義」なのです。なお、木「仁」は情緒性に関わりますから、金が木を剋する作用が、五常の相関性に、そっくりそのまま反映することにもなるのです。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2015・5・23
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