以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
皇族の方を取り上げるのは、気が引けるところがありますが、今回は昭和天皇を取り上げます。
敗戦後の戦勝国主導の極東国際軍事裁判(東京裁判)により、連合国は日本のあり方を全否定し、日本はアメリカ化・欧米化されそうになったのですが、昭和天皇はその命をも呈して日本の文化・文明を護った存在であると認識しています。
日本の文化・文明を護ることが可能になった大きなきっかけとなった、昭和天皇とマッカーサー元帥との会談については、ここでは説明しきれませんので、ほかの資料をネットで参照してください。
1901年4月29日22時10分生まれ
辛 丑(癸) 辛(己) 大運 壬辰(乙)
壬 辰(戊) → 壬(甲) ・8歳 辛卯(乙)
丁 丑(己) 丁(己) 16歳 辛卯(甲)
辛 亥(壬) 辛(壬) ・18歳 庚寅(甲)
・28歳 己丑(己)
34歳 己丑(癸)
・38歳 戊子(癸)
46歳 戊子(壬)
・48歳 丁亥(壬)
・58歳 丙戌(戊)
64歳 丙戌(辛)
・68歳 乙酉(辛)
74歳 乙酉(庚)
・78歳 甲申(庚)
日干は丁火で辰月土旺の生まれです。「旺の逆転」により木旺になり、日干は相令に転じますが、日干に隣接する干は、壬、己、辛ですから、日干は弱となります。
「五行の調和」の視点から見ますと、木旺の大運をめくりますが、大運の干が庚辛金ですから、一生を通じて、「五行の調和」をしたことがないことになります。この意味するところは、多忙を極め、心安まる時がなかったことになります。身を挺して、天皇としての職務を遂行していたであろうと言えます。
「通変の調和」の視点から見ます。大運に、庚辛金、甲乙木、壬癸水が巡りますと、「通変の調和」が成立します。ほぼ一生の間、「通変の調和」が継続していたことがわかり、天皇陛下としても優れた人物であったことがわかります。
大東亜戦争の開戦は大運戊子(癸)。終戦というか敗戦後の大運は戊子(壬)。財と官殺の「通変の調和」が成立しています。この作用により、正しく世界情勢を判断でき、また側近にも正しい判断を可能にするような人物を置くことができたのではないかと考えられます。
天皇陛下ですから、祭り上げられてしまったなら、世界が見えなくなりそうですが、そうしたこともなかったものと推命的に理解できるのです。
天皇陛下がこの命運であったから、日本は救われた面があるとも言えるのではないかと考えています。
天皇陛下は、世界的にも希有な存在であり、日本独自の文化であることは、かのマッカーサー元帥も言及しています。
話は変わりますが、先の大戦を総括するためにも、天皇陛下の「終戦詔書」は、すべての教科書に現代語訳して載せるべきであると思います。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2014・8・26
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