以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
喜忌(KiKi)や吉凶は,運命学ならではの用語と言えます。おみくじにも同様の文言は見られますが、おみくじでは、吉にも、大吉、中吉、小吉などがあり、ある意味、運命学より細かな配慮がうかがえます。
また、四柱推命には用神という用語があります。この用語は一般的ではないので、ご存じない方のほうが圧倒的に多数派であると思います。これは20世紀初頭に活躍した徐樂吾氏の著作に由来するものです。その意味は、「四柱八字に五行の調和をもたらす要(kaname)となる干」ということですから、最上の「喜」であり、最上の「吉」という意味があることになります。
四柱推命は、生年月日時をうかがい、四柱八字を出し、それを元にして、将来の事象のよしあしを論じ、何らかの予測をすることが最終的な目的ですから、依頼者によしあしを伝えるために、喜忌・吉凶という用語が不可欠になっています。
では、喜忌・吉凶・用神は、四柱推命において実証的に有効、有用なのでしょうか。
用神は、大運や流年(年運ともいう)とは無関係で、四柱八字のあり方のみにより決定され、同時に、喜忌・吉凶が定まります。そして大運や流年に巡る五行にその喜忌・吉凶を当てはめ、この大運はいいとか悪いとか判断するのです。
用神と喜忌・吉凶の二つの視点に共通することは、その人の四柱八字に対する五行の作用のよしあしを固定化することです。固定化とは、この五行は吉であり、この五行は凶であると決定することです。これは原則一生不変です。例えば、五行の木が巡ってきたなら吉で、金が巡ってきたなら凶であるといった、五行の作用のよしあしが塗り分けされるのです。
さて、四柱八字により定まった、吉となる五行、凶となる五行を根拠に、運歳に巡ってくる五行を見て、人の幸不幸を断じるのですが、人生は吉と凶の二分割では評価できない事象もあるのです。例えば「これはまずい」と思っていたことが、あとで大成功の原因になることもままあることです。
喜忌・吉凶・用神は、千変万化する人生のあり方の実態からかけ離れた単純化であると言えます。
古来よりの喜忌・吉凶・用神という視点には、それなりの効用があることは認めますが、もう一歩先に進むには、喜忌・吉凶・用神という視点を、いったん捨て去ることも必要ではないかと考えています。タイトルにありますように、喜忌・吉凶における、よしあしの見方は、単純化によって思考停止という弊害をもたらしているのです。
ではどうすればいいのか。喜忌・吉凶・用神という用語を使わなくてもいい四柱推命のあり方を追求することです。いまだ実現はしていませんが、その実現の途上にあります。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2014・6・22
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