以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
タイトルに「愛と憎」と表記しましたが、「やさしさと冷徹さ」と理解していただいてもかまいません。この「やさしさと冷徹さ」は、五常に関する独自の解釈による事象となりますが、五常を通して現実の四柱八字の事象の現われ方を見ますと、中には恐ろしい一面があるのです。
古来より、五行の木は「仁」で、思いやり、惻隠の情に関わるとされてきました。また、五行の金は「義」で、人としての正しい道という意味から、義理堅いとか正義感があるような事象に関わるとされ、四柱推命に取り入れられています。
この五常の事象に対する解釈については当然のように知っていたのですが、まったく事象が合わないと思っていました。例えば、四柱八字に木が多くあっても、「仁」どころか殺人事件を起こすような人もいるわけで、五常は役に立たない、意味不明の視点と評価していたのです。
しかし、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』に解説していますように、五常についての独自の解釈の仕方により、役に立たないどころか、現在では必須の視点と考えています。この視点がなければ、四柱推命は成り立たない、とまで思っています。
さて、木と金が四柱八字中にあり、剋になることにより、その人の心の深奥に「やさしさと冷徹さ」という矛盾を発生させることになるのです。
通常この矛盾は、誰にでもある二面性程度で収まるのですが、10年に一人、二人とこの二面性が、バラバラ殺人事件の犯人を通して、凄惨な事件として認識されることがあるのです。以下は、ここ30年ほどの間に起きた、バラバラ殺人事件の犯人の四柱八字(生時不明が多いですが)を見て至った一つの結論です。
心理学的に、人としての愛情、思いやりと、相反する、人が本能的に持つ、残忍性はどのように両立しているのかについて分析されているのでしょうか。この点に関する見識は一切持ち合わせていません。
四柱推命を通し、五常の視点から言えることは、日干を含めて近傍にある干を見て、木と金がある場合、「やさしさと冷徹さ」の内面的な矛盾を抱えた人物であると見ることになります。
別の見方をしますと、金の五常の冷徹さに、木の五常のやさしさが衝突することにより、敵対的矛盾が何かのきっかけで指数関数的に増幅されることがあり、その結果、人間は恐ろしく残虐な行ないをしてしまうのではないかとも考えられるのです。「可愛さ余って憎さ百倍」と言われますが、似た要素があるように思います。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2014・6・18
Since:1998-08-05 /// Last updated:2023-8-2
著作権法に基づき、本サイトの内容を、無断で引用、複製、翻訳、放送、出版、改変、等することを禁じます。