以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
出刊後1000年ほど経っている四柱推命に関する古書が伝えられていて、今も日本国内でもそれなりの専門店に行けば手にすることができます。大阪なら心斎橋の中尾書店、東京なら神保町の原書房、あるいは板橋十条の鴨書店などです。こうした古典があってこそ現在の四柱推命が成り立っていることは紛れもない事実と言えます。しかし、あたかも宗教の経典や聖典のように古典を扱う人を時々見かけます。
「宗教の経典や聖典のように扱う」とは、内容に間違いや錯誤は一切なく、絶対的に正しいすることです。もし仮に1000年前の四柱推命の古典に一点の誤りもないとするなら、それは四柱推命が完成していたということになります。そんなことはあり得ないのです。
もし1000年前に四柱推命が完成していたなら、現在の私たちは何もすることがないことになります。
四柱推命も現代物理学と同じように、常に進化し続け、いつまで経っても完成はないものと考えています。しかし、日本においては、四柱推命に関わる人、また専門家と称する人の中には、こうした見識を持ち合わせていない人がかなりの割合でいるようで、古典に言われていること、また師匠から伝え聞いたことを全面的に正しいと盲信している人がいらっしゃいます。
では、このように古典重視、あるいは古典尊重に陥る人の共通点を、四柱推命の視点から考えてみることにします。以下は、ここ30数年ほどの間、私の周りにいた人をもとにした経験則ですから、該当しない場合も多少はあると思います。
過度に、時に盲目的なまでの古典尊重に陥るのは、五行の火に関わるようです。五行の火は、宗教心にも関わりますから、盲目的になるのは、宗教への度を過ぎた依存と似たところがあると思われます。
五行の火の作用は、五常では「礼」ですが、この「礼」と言われている作用の本質を突き詰めますと、「演繹的思考」となります。詳しくは『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』を参照してください。
演繹(En eki)は論理学の用語で、ご存じない方も多いと思いますが、誤解を恐れず、くだいて、わかりやすく説明することにします。
五行の火が日干の周りにあり(日干を含む)、火と剋となる金も水もないような四柱八字の場合、火の五常の作用がその人の思考パターンを支配することになります。
支配された結果、どのような思考パターンになるのか。ある人は、宗教心が強くなります。またある人は、超能力やUFOの存在を頑なに信じる神秘主義者になります。またある人は、占いの類にのめり込んだりします。
いずれの宗教には教義がありますが、教義・経典に疑問を持つようではその宗教の信者にはなれません。同様に、古典重視に陥る人は、四柱推命の古典にいわれていることを、あたかも教義・経典のように信奉しているのです。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2014・6・10
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