以下の説明を読み、すんなりと理解していただけるのは、私の講義に出席された方と最新刊『基礎から最高峰を目指す四柱推命の本』の読者だけでしょうが、あえて、現状ではまだ少部数しか世の中に流通していませんので、読者の対象が少ないことを承知の上で、こうした形で情報を発信することにしました。
ただし、性情には定量的な評価基準がありませんので、このコラムでは、どのような性情を「寂しがりや」「孤独を愛する人」と評価しているのかを明らかにしておきます。
まず、「寂しがりや」ですが、あえて言えば「孤独を嫌う人」で、常に身の回りに人がいて、ワイワイ騒いでいないと不安感を感じるような人です。ですから、いつもにぎやかな環境の中に身を置くために、人と会うために行動し、積極的に人との接近をはかるような行動をすることになります。
「孤独を愛する人」は、この逆で、人との関わりが煩わしいという気持ちがどこかにある人です。なぜ煩わしく思っているかと言いますと、ものの考え方、嗜好、価値観などは、当然他人とは異なるわけですが、それを合わせること、あるいは合わせたふりをすることが、不快であり、我慢ならないのです。ですから、一人部屋にこもり、本を読んだり、PCを触ったり、ゲームをしたりすることになるのです。
「寂しがりや」と「孤独を愛する人」を形成する原因は、四柱八字中の通変の印のあり方にあります。印とは、偏印と印綬のことです。
「寂しがりや」の人の四柱八字に共通する点は、日干が弱で、かつ印が日干に隣接していないことです。日干が弱で印が日干に隣接していないということは、成長期に母親の恩恵を受けることがかなわなかったという事象にもつながります。
家庭環境の話になりますが、両親共働きで、母親は子供の面倒を見る時間を十分にとれなかったとか、両親が離婚して、母子家庭、父子家庭であったとか、あるいは、母親に母親としての自覚に不足するところがあり、その役目を十分に果たしていなかったという、個別の問題も考えられます。
「孤独を愛する人」の四柱八字に共通する点は、日干の強さに比較して、印の作用が大きい場合です。典型的であるのは、過保護に育てられた場合です。時に、幼少期病弱であったため、両親も過保護にならざるを得なかったような状況もあります。ただし、この場合、財が日干に隣接していますと、この限りではありません。
こうした環境に育った人は、物心が付く頃になりますと、母親をうっとうしく思うことが多くあります。かと言って、自律的に外部との関係を増やすこともできないため、自分の世界にこもりがちになるのです。それが「孤独を愛する人」と人から評価されることになるのです。決して孤独が好きなのではないとは思いますが。
「寂しがりや」と「孤独を愛する人」は、幼少期の生活環境により形成される性情で、これが社会に出てから、職業の選択、対人関係に大きな影響を及ぼすことにもなるのです。
※上記の説明には、本書独自の蔵干の考え方と、格局に代わる」「旺の逆転」という視点が含まれています。詳しくは、基礎から最高峰を目指す『四柱推命の本』を参照してください。
2014・6・12
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